田澤義鋪記念館について

田澤記念館外観
田澤記念館外観

 (一財)田澤記念館は、故田澤義鋪先生の偉大なる生涯とその信条を社会教育及び青年団運動に生かし教育文化の向上並びに地域社会の充実発展に寄与することを目的に昭和57年(1982年)に設立されました。

 しかしながら、時代の移り変わりとともに運営資金の調達が難しくなっていくなかで、理事、評議員の高齢化も進み、記念館の閉館を余儀なくされました。

 (一財)鹿島市民立生涯学習・文化振興財団は、鹿島市生涯学習センター・エイブル及び鹿島市民図書館について、鹿島市から指定管理を受託しています。地域に根ざした生涯学習・社会教育を推進するなかで、エイブル倶楽部(生涯学習を行う会員制の組織)や図書館事業において、田澤精神の紹介、学びと継承を行ってきました。

 両財団は鹿島市の仲介により令和3年12月18日(土)合併契約調印式を行い、令和4年4月1日付けで合併、当財団が田澤記念館の運営を引継ぐことになりました。


田澤義鋪顕彰事業のはじまり

 昭和19年(1944)11月24日、田澤義鋪は敗戦後の新社会建設の抱負を抱きながらも、病により、その生涯を閉じました。敗戦後、新しい

平和国家の建設が進む中、多くの人々が亡き義鋪の言葉と思想から多くの学ぶべきものがあることに気付かされました。

 

 東京では、早くも昭和20年には、盟友たちが中心となって「よしはる会」が結成されました。さらに、昭和27年には、財団法人田澤義鋪

記念会が結成されました。

 

 田澤義鋪記念会は、昭和29年に義鋪の伝記『田澤義鋪』を(後に『この人を見よ』と改題)、昭和42年には義鋪の著作集『田澤義鋪選集』を

出版するなど、義鋪の顕彰に努めてきました。

 

 なお、財団法人田澤義鋪記念会は、平成24年(2012)に財団法人日本青年館と合併しています。

 


田澤記念館の建設

 東京における義鋪の顕彰事業を受けて、地元鹿島でも、義鋪を顕彰する気運が高まり、昭和40年に田澤義鋪顕彰会が結成されました。田澤義鋪顕彰会は、昭和42年に旭ヶ岡公園に田澤先生記念碑を建設し、義鋪の菩提寺幸福寺(北鹿島)に義鋪の墓を建てるなど、鹿島における義鋪顕彰の礎を築きました。

 

 田澤精神の継承と生誕地保存を求める声が広がっていくと、昭和57年に財団法人

田澤記念館が設立されました。そして、義鋪遺族から生家と敷地の提供を受け、

昭和59年に田澤記念館が建設されました。

 

 近年でも、ユースカレッジを主催し、また義鋪の生涯をまとめた『郷土の光 田澤義鋪』を作成し、鹿島・藤津地区の各小学校で出前講座を行うなど、次世代を担う青少年の育成と田澤精神の継承を図っています。